児童生徒の作文より

水がいのこと   小3女子
 九月十二日午前四時はんセンターでねていたら、すごい雨で水がいになりました。かんごふさんにとつぜんおこされて、下を見たらぬれていました。水は少しずつふえてきました。雨がへやの中に入ってきたのです。車いすをかりて二かいへにげました。ものすごい雨でした。みんなでこうどうにいたらてい電しました。食べ物も少なくなりました。物もいろいろながされてしまいました。雨がへやの中まできたからこわかったです。二かいへにげた時にてい電をしたからびっくりしました。食べ物がなくなった時に、カンパンとかそういうやつだけでした。二かいにいてもひまだったからたいくつでした。
 学校はろうかがでこぼこになってこわかったです。きょうかしょもべちゃべちゃになってびっくりしました。おどうぐばことかばんとねんどがちょっととぼうさいずきんとクレヨンのはことようふく少しとノートとベットとセンターの本がなくなりました。水がいは、たいへんだと思います。おそうじを何回もしなければいけません。もう水がいはいやです。

学校が休みだった 小3女子
 九月十二日大雨がふりました。
 朝の四時三十分にかんごしさんにおこされました。ねむかったけど、二階にひなんしました。二階では、すいがいのニュースを見ました。しばらくすると電気もテレビが、かってにきえました。食べ物は、ふつうのごはんじゃなくなっておかしでした。おいしかったです。学校は休みなってつまらなかったです。くんれんが休みになってなかなかはじまりませんでした。
 教科書とねんどとのりとぼうさいずきんとおどうぐばことプリントとクレヨンのはことおもちゃとふくとベットとおむつとカテーテルがなくなりました。大雨はこわいです。

水がい  小4女子
 九月十二日四時はんにセンターでねていたら、水が入ってきました。グーグーねていたらきゅうにかんごふさんに大声で起こされました。起きて見るとへやの中に水が入ってきました。なので急いでランドセルやつえをもってかんごふさんに車いすをおしてもらって二かいにひなんしました。テレビでニュースを見ていたら、いきなり停電してしまいました。少しこわかったです。ほかの人も家に水が入ってきたのでひなんしてきました。それでへやがいっぱいになったのでひろいへやにうつりかえました。その日のお昼ごはんは、カンパンとぎゅうにゅうとこおりざとうでした。でも、三日か四日ぐらいにおべんとうになりました。とってもうれしかったです。たまに外を見ると水の上を歩いている人やボートをこいでいる人もいました。いろいろな車も水でうまって見えなくなってしまいました。水の上でおもちゃやふくもういていました。一かいのそうじがおわってへやにもどったらいろいろな物がなくなっていました。だいじなきょうかしょやそうぐもこわれてしまいました。
 すいがいは、はじめてだったので、すごくこわかったしすごくびっくりしました。

水がい  小4男子
 九月十一日の夜から十二日にかけて、大雨がふりました。雨がすごくて、父さんがなかなかかえってこれなかった。ぼくは、ねないで待っていました。夜一時ごろ、ぱっとおきたら父さんがいました。ぼくは、安心しました。学校が長く休みだったので、ひまでひまでしかたがありませんでした。つまらなかった。ゲームをしたり、食べてばかりいました。学校にきたら、何かかわっていました。教室が二階でした。ろう下に×印がありました。ぼくは、じらい遊びをしました。教科書は、水にぬれてパリパリになっていました。バインダーはボロボロになっていました。はさみの袋の中にどろがはいっていました。ぼくは、水で洗いました。でも、きれいにとれません。それですてました。お道具箱は、ふたがなくなって、ベコベコになって使えませんでした。あられのかんかんを家から持ってきました。粘土は、なくなっていれものだけになりました。
 水がいは、学校が休みになり、ろう下がぼこぼこになり、物がなくなりいろいろわるいえいきょうがあります。ぼくは、水がいは、こわいなあと思います。

なくなった物  小4男子
 九月十二日大雨がふりました。九月十一日の夜お父さんの帰りがおそかった。車がこんざつしておそかった。お母さんが「はやくねなさい」と言ったけどぼくは、「もっとゲームやりたいよう」と言ってまたゲームを始めました。雨のことはぜんぜん知りませんでした。
 次の日学校が休みになりお父さんが「お母さんをむかえにいこうか」と言いました。お母さんは学校でそうじをしていました。お父さんと弟とぼくは三人で学校をみにきました。そしたら、ごみの山でいっぱいでした。学校にきたらいしょうケースときょうりゅうのふでばこがなくなっていました。うんどうかいがなくなって悲しいです。

おどろいた学校の水没  小6女子
 朝、起きて、テレビを見ていたら大雨警報が出ていたけど装具の仮合わせの帰り道にお母さんと「大雨洪水警報が出てるなんてウソみたいだね。」と言っていたのに夜から大雨になってしまいました。学校が水没するなんておどろきました。まるでまた、夏休みにもどったみたいでちょっとラッキーと思いました。でも、三日もたつとヒマをもてあまし、学校がこいしくなってしまいました。
 九月十五日(金)に、車いすとPCWを取りに学校まで行きました。道路がものすごく混んでいました。「あさくま」の辺から、別世界に来たみたいに、ゴミの山があっちこっちにできていました。学校の駐車場には、先生たちの机がずらーっと並んでいて、大勢の人たちが、そうじをしていました。思ったよりひどくてびっくりしました。これじゃあいつ学校が始まるか心配になりました。
 九月二十日(水)にやっと学校が始まりました。けれど、学校に行くと教室が二階になっていました。だけど、友達がほとんど来なかったので少し悲しかったです。休んでいた人は今ごろ何をしているのかなと心配になりました。
 私の家は水が来なかったけど他の家や町に水が来てしまったので災害に合った人たちはとてもかわいそうだなと思いました。

東海豪雨の様子について  中1女子
 九月十一日から、九月十九日まで学校は休みでした。大雨により新川の堤防がきれて、学校に水が浸水と被害をうけたためでした。
 私は、浸水した時、センターにいました。九月十二日の朝四時三十分ごろに、川の泥水がセンターに入ってきました。だから、二階の講堂に、一階にいるみんなは、ベットごと避難しました。避難してからは、バタバタして寝れませんでした。十三日の木曜ぐらいまで一日中、パジャマのままでした。そのため、体がだるく感じました。
 二階での生活は、一日だけ講堂で寝ました。午後六時三十分頃から、看護婦さん達が「もう真っ暗になるから、寝なさい」とみんなに言っていました。でも、私は、そんなに早くは眠れないと心の中と口でぶつぶつつぶやいていました。それを聞いた看護婦さんが、「そりゃあ寝れないわなあ。横になっているだけでもいいから」と私の気持ちをわかってくれました。
 朝になって、起きました。朝食は、カンパンでした。カンパンを見た私は、これが、ご飯なのかと思いました。でも、カンパンだけでも、食べれて、幸せだと思いました。だって、世の中には、食べ物が食べれなくて、死んじゃう人だっているんだもん。だから、うこれも一つのいい経験だと思いました。

さいがい  中1女子
 九月十一日に、大雨がふった。でも家は、ゆか下しん水でした。電気と下水が、使えませんでした。しかし私の、ポータブルトイレをみんなで使いました。食べ物は、昔食べなかったしけたおかしを食べていました。大雨こう水けいほうのニュースは、上のお兄ちゃんが作ったラジオで聞いていました。いつも通っていた道が、お父さんのむねぐらいありました。その時、私はとても「外には出れないなぁー」と思いました。ちゅう車場ではお父さんの車が、だめになってしまいました。でもお母さんの車は、ぶじでした。「よかった一台でもぶじで。」だってこれからもおでかけや、お仕事に使うから。でもお父さんの車は買いかえるよていです。次はどんな形でどんな色だろう。

きょうふの大雨  中1男子
 九月十一日ぼくはけいほうがはつれいされていることをしらずにとうこうした。自分の車いすをもってかえったので、どろ水につかるのをまぬがれた。学校は床上1メートルの浸水で1かいのきょうしつやしょくいんしつは、どろみずにつかった。
 この大雨は、百年に1どのできごとだそうでどの人もよそうがつかなかっただろう。ぼくの家のちかくのはった川も、もう少しではんらんしそうだった。ものすごい速さでながれていた。もしはった川があふれてきたら、ぼくの家も水びたしになっただろう。でもおふろの水はぎゃくりゅうした。

すごかった大雨  中1男子
 九月十一日の朝から大雨けいほうが出て学校は休みでした。雨がやまず、夕方には、きろく的な一時間に98ミリもふった。新川のていぼうがきれたので学校のふきんは床上1メートルの浸水となった。
 その様子をビデオで見てわかった。すごくひどかった。九月十四日学校に行ってみると先生たちが大そうじをしてた。いすや机、車いすがどろだらけで、けんめいにそうじをしていた。こんな様子では、いつから学校が始まるのか心配になった。学校では、電気も水道も電話もだめになった。
 ぼくたちの教室は、二階だったから助かったけれど、一階の小学部の教室は、水につかって、全てだめになってしまった。職員室も先生たちの書類もコンピュータも全てだめになってしまった。ぼくは、ここまでなるとは思いませんでした。でも、二階が助かって本当によかったです。一階の子たちは、べんきょうどうぐ、ふくなど全部使えなくなっているので、かわいそうでした。もう二度と、こんな水がいにあいたくないです。